星のない夜

学生でも徒然なるままに。

自分以外結局他人なんだから

 

 

私が大切にしてることだ

 

 

これは何においても使える必殺技であり、時に自らの首を苦しめることもある。

でも結局そういうことなんだなって思う

 

 

 

人に期待し過ぎてはいけない。

自分以外結局他人なんだから。

 

世の中には色んな考え方がある。

自分がどう考えようと自由である。

自分の常識は他人の常識ではない。

親は完璧ではない。

友情も恋愛も永遠ではない。

自分と他人を比べる必要なんてない。

 

 

だって自分以外結局他人なんだから。

 

 

 

 

こうやって考えることはとても楽だ。他人の価値観に縛られることなく、自分の思いに耳を傾けることができる魔法の言葉だと思う。

その一方で、孤独な考え方でもある。自分を全肯定する存在も、自分の周りの状況の永遠性も何もかも信じていない。ただ、周りにあるものを全て受け入れていくだけの作業。

 

 

 

私は感情的になることが苦手だ。

 

勿論感情が無いわけではない。

でも、その感情が顕著に態度や言葉に現れてしまうことが嫌いだ。そういう人も、そういう自分も大嫌いだ。怒ったからといって、泣いたからといって何かが解決しているわけではないから。そういう感情に流されて話し合いをするとろくな目に遭わないしロジカルな判断が不可能であることは明白である。

だから私は怒るんじゃなくて、受け入れようとする。泣くんじゃなくて、受け入れようとする。だって自分以外結局他人なんだから。

怒りの感情を抱いたら「どうして、どこに怒っているのか」を考える。そうすると、自分の怒りのポイントが見えてくる。「あの人はこういう考え方を持っている人間で、私はここの部分に怒っていたんだ」と受容する。するとその人自身のことも嫌いになることはなく、自分に対する解析度が上がって終了するのだ。

 

この思考回路は至って単純で我ながらいい考え方だと思っている。

 

ただ一つだけ問題があるとすれば、感情のやり場に困ってしまっていることである。

自分ではあまり認識していなかったし、この方法で上手く自分の感情を処理できているつもりだった。

でも突然叫びたくなったり、ふと泣いてしまう日が訪れる。これでは感情の整理ができているとは到底言えないだろう。きっと整理出来なかった気持ちの核の部分が、押し潰されて時折爆発してしまうのだ。

誰にも迷惑はかけたくないし、人に対して理不尽に怒りや嫌悪の矛先を向けるのは嫌いだ。そうしてまた自己嫌悪になる

そして私は「自分以外結局他人なんだから」というおまじないをかけて、自己嫌悪を処理しようとするのだ。

 

 

好きの感情も嫌いの感情も、人それぞれだ

ネガティブになる理由も、人それぞれだ

 

最近友人と彼氏の話を聞いていて、余計にそう思ってしまった。私の友人のうち、1人は付き合って10ヶ月でもまだラブラブで愛の言葉をかけ合う。もう1人は付き合って3ヶ月で、相手から愛を向けられ過ぎて困惑し、友人関係を大切にしたくなってしまっている。そして私は、彼氏のことが大好きだけど共通の友達から1回避けられた上に、一緒に帰るけどLINEはしない。お互いの勉強の為と分かっていながら、直接話すのが好きなのはお互い同じはずなのに結局悩んでるんだからよく分からない女だと我ながら思う。気持ち悪い。

 

どんなに仲のいい友人でも、結局は赤の他人。今まではなかったはずなのに、友人の考えに共感できない部分も出てきて、でもそれを否定も出来ないし肯定もできないし上手く意見も言えなくなってる自分がいて。こんなんじゃ友達失格だよなって思いながらも、何が正解か分からなくなった。友人を否定したくない、でも自分の考えを否定することもしたくない、欲張りな女なのだ、私は

 

 

 

 

 

自分以外結局他人なんだから

 

 

 

私の自由で孤独で残酷な考え。