星のない夜

学生でも徒然なるままに。

新月のような夜

 

 

私の母は「察して文化」と呼ぶものが嫌い

私はそれが無いと生きてすらいけない

それが悪いと言っているわけではない。けど私はそれが嫌いかどうかを問いたいのではなく、それをする人にはそれなりの理由があるのだ。

察して欲しいのは、相手を能動的に動かしたいという理由があるだけとは限らない。少なくとも私は。

私は全ての物事に対して「断られたらどうしよう」「この頼み事のせいで怒られたら、嫌われたらどうしよう」そんなことばかり考えているのだ。これを「察して欲しいそうな遠回しのフレーズで誤魔化さないで」なんて言われても無理がある。私からすればこれは1回ジャブを入れているだけであって、そこから状況を判断して頼むかどうか決めようと思っているのに。

もし頼み事をしたのに「今忙しいの、そんなことも分からないの?」なんてことを言われて怒られたら悲しくて仕方がない。

もし頼み事をしたのに「そんなことも1人で出来ないの?本当にダメだね」なんてことを言われたら辛くて仕方がない。

そんな考えに至ってしまうのは果たして悪いことなのだろうか?それが母が相手だからだろうか?「そんなこと言うわけない」ってきっと母は返すんだろうけど、そんなことないから私はこうやって躊躇しているわけであって。

言葉は話し手の意図ではなく受け取り手の解釈が意味となる、だなんてことをこの前どこかで聞いたが、私はまさにその通りだと思う。私だって言葉遣い、選び方は気をつけなければならないが、母ももう少しそこを奥まで考えてくれてもいいのになあなんて思う。あれ、これが遠回しの思いなのか?ちなみに今は言い返す力もなく睡眠欲が勝つ寸前の中、このままだとむしゃくしゃすると思い、無理やりこうして指を動かしている。

 

無理だ、寝よう。

それでは